鴎外の時代の鉄道馬車を観に往く…の巻。

(この記事は2015年9月20日にべるりんねっと789のコラムに掲載された内容に加筆したものです)

 

コラムをずいぶんお休みしてしまい申し訳ありません。
単行本用の執筆に追われ、コラムをお休みするつもりはなかったのですが…書き始めてもその日のうちに書き終わらず、中途半端なものがいくつも溜まってきている状態。面目ない!

何を集中して書いているのかというと、ナチスの時代と、当時のベルリンを生き延びた日本人とユダヤ人の物語。
春にサンデー毎日誌に寄稿させて頂いたが、あの掲載がきっかけで、ほかのユダヤ人の生存者に出会うことになり、その方にお話を伺いに行くとそこでまた新たに一人紹介され…と、ホロコースト体験者の輪に入れて頂くことになり、みなさまの体験を取材させて頂いた。また、すでに書いたこと以外にも日本人がユダヤ人を救っていた記録が見つかったりしたので、1冊にまとめることに。
何人もの生存者にお話をお伺いして驚いたのが、誰一人として似た体験をしている人がいないことだ。みなさん、同じベルリンの町に生まれ育ったはずなのに、それぞれまったく異なる体験をなさった。唯一の共通点は、どなたも壮絶な環境に置かれながらも何かに守られ生き延びたということ。お話をお伺いしながら涙を拭わなければならなかったこともしばしば、号泣してしまったことも。しかしながら心を打つ感動エピソードも数知れない。
「ナチの時代のベルリン」は、作家になりたいと思った頃から取り組んできたテーマ。資料もずいぶんため込んだので、当時の町の様子をしっかり描写しつつ、、「いのち」の大切さが伝わる…そして次世代に伝えることができる一作になればと願っています。
楽しみに待っていらしてください。

さて、そんな今日この頃だが是非お伝えしたい、週末の愉しみ方。
先週の日曜日、衝動に駆られてテンペルホーフ区に出かけた。
「お蔵開け」があると言うので。
「お蔵出し」ではなく「お蔵開け」。蔵の扉を開けて一般人にも自由に見学させてくれるというのだ。何をって、ベルリン市交通局BVGが昔持っていた乗り物を。
馬が引いていた電車(じゃないね、馬力だから。けれども「馬車」は意味が違う…。「鉄道馬車」や「辻 馬車」のこと)も間近に見学できるという。
鴎外やエリーゼが日常に使っていた鉄道馬車はどんなものだったのだろう…。

鴎外の第3の下宿(鴎外はベルリン滞在中2度引っ越したので、3つの下宿に住んだことになる)はハッケッシャーマルクトにあり、入口の真ん前が鉄道馬車の停留所で、日常的にもよく利用していたようだ。

ちなみに『舞姫』にも、次のような一節がある。

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最早十一時をや過ぎけん、モハビツト、カルヽ街通ひの鉄道馬車の軌道も雪に埋もれ、ブランデンブルゲル門の畔の瓦斯燈は寂しき光を放ちたり。

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…と、苦悩する豊太郎が街を徘徊する場面にも、「鉄道馬車」が登場する。
これは鴎外が初めて入居した下宿(現在の鴎外記念館のすぐ近く)から北に上がったあたり。
鴎外の後の人生をグチョグチョにすることになる上司、石黒 忠悳の下宿の近所で、石黒がベルリンに来て以来、日参とも言えるくらい通うことになった場所なので、鴎外にしてみれば「苦悩」と直結する風景なのかもしれない。

ちなみに『舞姫』には次のような一節もある。

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或る日の夕暮なりしが、余は獣苑を漫歩して、ウンテル、デン、リンデンを過ぎ、我がモンビシユウ街の僑居に歸らんと、クロステル巷の古寺の前に来ぬ。
余は彼の燈火の海を渡り来て、この狹く薄暗き巷に入り、樓上の木欄おばしまに干したる敷布、襦袢はだぎなどまだ取入れぬ人家、頬髭長き猶太ユダヤ教徒の翁が戸前に佇みたる居酒屋、一つのはしごは直ちにたかどのに達し、他の梯はあなぐら住まひの鍛冶が家に通じたる貸家などに向ひて、凹字の形に引き込込みて立てられたる、此三百年前の遺跡を望む毎に、心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。

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これは豊太郎がエリスに出会う直前のシーン。
この「彼の燈火の海を渡り来て」という情景は、当時の交通事情を照らし合わせると、ウンター・デン・リンデンには鉄道馬車の線路はなかったので、乗合馬車か辻馬車(ドロシュケ)を使ったことになる。乗合馬車はバス、辻馬車はタクシーであるから、日常的には乗合馬車を利用したと考えるのが妥当だろう。

…そんなこんなで、鉄道馬車を実際に見てみたい。
鉄道馬車も乗合馬車も、線路があるかないかだけで、引いているのはどちらも馬、車体は同じようなものであるから、鉄道馬車を見ることができれば、豊太郎がエリスに出会うシーンを想像することだってできる。
写真で見たことはあるが現物は見たことがない。見てみたい、見たい、観たい…という思うが募り、出かけてみたのだった。
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場所は、テンペルホーフ区、Dudenstr.の裏側。
ナビに指示されるがままやって来た未知の通り。
車を停めて辺りを見渡すと、赤く塗った住宅街が今どきな感じ。
眼下に広がる線路わきの空間。できたばかりという感じの児童公園や遊歩道が広がりその向こうに倉庫が。
人の動きも見えるし確かに扉が開いている。きっとあそこに違いない~と、倉庫へと向かう。
近くまで来ると、開いている開いてる。
おお・・・垣間見える~。

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というわけでやってきた、BVG西地区旧車保管倉庫。

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倉庫に足を踏み入れ一番に見たのが「1番」車両。
これがまさしく鴎外の時代に活躍した鉄道馬車の車体。

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あまりに近すぎてうまく写真に収めることができず妙な具合だが…。
ドイツで初めて導入された鉄道馬車だそうで、1865年6月22日にお披露目し、シャルロッテンブルク区のシュパンダウアーダムとブランデンブルク門の間を走行した。
長さ6,3m、幅2,15m、高さ4,25m。
2頭立ての車両で、2階建てで、それぞれ18席が設けられていた。
1902年まで現役として走行したというから、鴎外も実際に乗ったことがあるかもしれない。
1927年に博物館に納められ今日に至るが、これが現存する車両としてはドイツ最古であり、おそらくヨーロッパでも最古ではないかともいわれている。
これらの情報は車両脇に看板やパネルで示されている。

込み合う人をかき分けながら奥へ進むと、こんな感じで様々な車両が並んでいる。
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このへんになるとBVGのカラーが用いられ、現代に近い。
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通り過ぎざまに見た車両に描かれたBVGのロゴ。
車体だけでなく合間には切符売り場も。
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近づいて中を覗き込むと…
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在りし日の様子が再現されている。
お…これは見覚えが。
昔乗ったことがありそうだし、旧型とはいえ、ポツダム行きなどは今もこれがときおり走っているのでは??
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この車両は乗り込みOKだったので乗ってみる。
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おお懐かしい~。
座ったことがあるぞ、こんな木のベンチの車両。
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このおじちゃまは年季は入っていそうだが現役の語り部。
「電車のことなら何でも聞いてくれい」と。
「運転室も覗いていいですか?」
「覗いて行ってくれい」
気合だけは大変良いおじちゃま。
いやいや、写真もOKくださる気前良さ。
運転室に入ってみると…。
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入って右手を見たところと、左手を見たところ。
ま、想像の域を出ない…か。
・・・というわけで、その他、保管されている車両は数知れず、後方には昔のアメ車もたくさん並んでいた(なぜ??)。
この保管庫、毎年9月の日曜日だけ開放してくれる。
残るは、今日と来週の日曜の2回。ぜひお見逃しなく~。
場所はMonumentenstraße 15。Monumentenbrücke橋のたもとから降りて行く。
公式のお知らせはこちら

また、機関車を見たいならこちらにも。
昨日・今日とシェーンヴァイデ区で蒸気機関車の展覧会をやっていて、今日は実際に機関車が走るところも見られるそうだ。詳しくはこちら
それから、スパイ博物館なるものがオープンしたそうだ。
場所はグリーニッケ橋の袂ではなく、都心の便利の良いところ。ポツダム広場駅のすぐ近く、Leipziger Platz 9。
第二次世界大戦や冷戦時代に使われていたスパイテクニックが現物などとともに紹介されているそうだ。<br>
オープンしたてでメディアではけっこう話題になっていて、たとえばこちらに映像ニュース。
公式サイトはこちら。→写真が一枚もないという、たいへんミステリアスなホームページ。

そんなわけで楽しい日曜日をお過ごしくださいませ。
ちなみに次の日曜はベルリンマラソン。参加する方は体調管理にご留意ください。応援組は鳴り物の準備を~。